新説・日本書紀⑨ 福永晋三と往く
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2018年(平成30年)5月12日 土曜日
中国の正史に神武東征の記録はない。ただ、「後漢書」東夷伝に次の一文がある。「永初に逮り多難となり、始めて寇鈔に入る」。永初元年に当たる107年は「倭国王が安帝に生口160人を献上した」年。その永初年間から多難となり、初めて「各地の反乱に対し攻撃」しなければならなくなったとの意味だ。神武東征は、この安帝の在位期間(107~125)後半に起きた倭国内の反乱ではないか。 同年3月、神武は「東征を始めてから6年、ようやく中洲の地が平和になった。あの畝傍山(=香春一ノ岳)の東南の地は、思うに国の中心か。皇都を開くべきだ」と言い、役人に命じて宮殿を造り始めた。 日本書紀や現地の伝承を読み解き、筑豊での実地調査を重ねて導き出した神武天皇の香春即位と田川での倭王朝成立。定説からはほど遠い仮説だが、筑豊各地にちらばる多くの情報の点は、それぞれ必然性のある線としてつながり、隠された真の歴史の姿を編み出したのだ。
次回は5月26日に掲載予定です
畝傍東北陵と推定される香春町の「おほきんさん」